2014年度 世田谷市民大学 連続講義


「アジアの紛争と文化力」

第4回 青柳先生 12月22日 9/10
死者は海の彼方へ―ニライカナイの時空
琉球人研究者であり、琉球民族の自己決定権-引いては琉球の日本からの独立-を唱える松島泰勝氏によれば、本土復帰以降琉球に展開されてきた一連の政治経済的な開発は一貫して日本側の主導で実行され、本土の方式がそのまま沖縄に押しつけられてきた事態です。彼はこの点について『環』という機関紙の第43号(2010年刊)に掲げた『沖縄は日本の植民地である―沖縄問題の根源とその解』という論文(186-195ページ)の中で次のように述べています:

日本政府は、本土企業の誘致によって経済自立が実現すると主張して経済計画を作成し、誇大な開発資金を投じてきた。沖縄の法制度を整備し、制度上の優遇処置を実施してきた。その結果、日本企業による土地取得、地元企業の買収・系列化、乱開発が進んだ。...失業率が高い沖縄は低賃金の切り捨て可能な労働市場として位置づけられている。振興開発計画は「本土との格差是正」を目標にしたが、現実は経済の主導権を本土企業が握り、本土人と沖縄人という民族間の経済格差はかえって拡大したのである。(189-190ページ)

また、松島氏は次のような解釈を加え、2000年に名護市で催された第26回主要国首脳会議(いわゆる「名護サミット2000」)を契機に展開されてきた沖縄ブームを批判します:

沖縄は観光地として人気があり、芸能人、スポーツ選手等の沖縄出身者の活躍もみられ、「癒しの島」「憧れの対象」でもある。三線を引き、島唄を歌い、沖縄情報を沖縄人よりも知っている本土人も増えている。...沖縄の文化を体得するのは、沖縄を支配し続けてきた本土人なのである。沖縄に関する認識、情報、知識、文化の収集は、沖縄支配のために流用される。(191ページ)

勿論、これら一連の「外圧」を必ずしも「禍」とは見做さず、むしろ今日の沖縄に必要な経済的推進に大きく貢献し得る新たな「豊穣」だとし、そこから生じる諸問題は「致し方ない副産物」であるとする観点も広く存在します。そこはそれこそ、ニライカナイ観に示される「異国渡来の豊穣と禍の決着なき両義性」であるといえるのではないでしょうか。ニライカナイよりもたらされた各種の物事を地元の物事とチャンプルー(混交)することで、これまでの島の暮らしは紡ぎ出されてきた訳ですし、これからの人々の暮らしもまた同様に紡ぎ出されていくといった捉え方は、そこに賛否両論があるにせよ、概ね私が現地で取材した方々に共通の観点です。