2014年度 世田谷市民大学 連続講義


「生まれるアジア、老いるアジア」

第5回 関谷先生 10月20日 1/5
老若男女が楽しむ中華圏のポップス
皆様よろしくお願いいたします。今日と来週、2回にわたって、私が専門としております中華圏のポップスについてのお話をしていきたいと思います。
音楽は、メロディ、ハーモニー、リズムが3大要素ですが、中華圏はメロディが圧倒的に大事にされているところです。少し悪口を言ってしまうと、もう少し和声とか和音とかリズムとかが凝ってくるとおもしろいなというのは個人的感想としてはあります。が、それ以上に、そのいいメロディを作る、探すことに音楽の世界の人たちは一生懸命努力をします。
その理由としては、やはり圧倒的なカラオケ人気文化があるんですね。カラオケで歌ってもらってヒットをするというのが中華圏のポップスでとても大事とされてきました。そんな中今日と来週は、よく若い方たちは美しいメロディのことを美メロなんて言ったりしますけれども、中華圏の美メロをたくさん皆さんに聞いて楽しんでいただければと思っておりますので、どうぞお付き合いくださいませ。
中華圏という言葉ですが、大中華地区といったり、英語ではグレイター・チャイナ。香港を含めた中国、それから台湾。それから人口の77%をチャイニーズのシンガポールも含めます。
そして、今の状況ですが、中国はお金持ちになっていますね。かつ人口も多く14億。台湾の人口は2,300万、香港は700万ですから、中国は大きなマーケットです。豊かになると、やはり音楽を楽しみたい、娯楽を楽しみたいという欲求が増えますので、今や香港や台湾の歌手の人たちは中国でお金を稼いでいます。つまり、中華圏は今やもうマーケットが1つになっているのです。中国のエンタテインメントの売上げの80%は台湾の人たちが稼いでいると聞いたこともあります。
中華圏を文化的に分けると中国、香港、台湾です。長い間この3地域は全く異なるポップスの歩みをたどってきました。ですので、中国、香港、そして台湾のポップスの簡単な歴史をお話ししたいと思います。
さきほどからポップスとかポピュラー音楽とかポピュラー・ミュージックとかあるいは大衆音楽といってもいいですけれども、そういう言葉を使っています。そのポップスの定義のお話をここでしたいと思います。
ポピュラーミュージック、ポップスは民衆の日常生活の中にある喜怒哀楽を直接表現した娯楽性の高いもの。日常生活における喜怒哀楽をストレートに表現したもの。そして受け取るほうも日常の生活の中で受け取ります。また、作詞家、作曲家、歌った人、演奏した人などのいわゆるクレジットと言いますが、それが誰かがはっきりしていることです。そして、一番重要なのは作り手と聞き手が同時代に生きている。そういう音楽をポピュラーミュージックといいます。
そして、ほとんどのポピュラーミュージックはメディアを通して商品化されます。メディアつまりCD、レコード、それから配信。若い人はインターネットを使って1曲、150円とか200円でダウンロードしてスマートフォンに入れて聞いていますね。
ポピュラーミュージックが生まれたのは、要するに大衆社会、大衆文化が生まれたときですから、20世紀になってからです。なおかつメディアが出てきた20世紀になってからです。レコードですね。最初はSPから始まりましたけれども、東アジアにレコードが来たのは、1903年と書いている人がいます。これはイギリスからグラモフォンという会社がインド経由で日本に来た。そしてこの会社が東アジアの最初のレコードを録音する地として東京を選んだんだそうです。それから同じ1903年に今度はアメリカのコロムビアというレコード会社が中国に行ったそうです。また中国に行ったコロムビアがその後日本に来て、反対に日本に行ったグラモフォンはその後中国に行ってレコードを録音しました。
そして、何故レコードを録音したのかというと、蓄音機を売りたかったからなんです。その蓄音機は当時20世紀の最初って、車を買うか家を買うかぐらいの値段がしたそうなんです。だから、都会のお金持ち層が好むような音楽を作ってレコーディングして、最初はアメリカ、イギリスに持って帰って、プレスして、それでまたアジアに持って帰ってきて売ったんだそうです。
1840年代ぐらいに、上海に租界というエリアができました。欧米の国が人の国に行って、ここは僕たちの国だから治外法権だよという地域を作った。その租界の中にレコード会社は支社をつくって、もちろん欧米のものだけを売りつけるだけではなくて、いろいろなその土地の音楽をレコーディングして、プレスして中国の人に売ったりしていました。
ということで、中国の最初のポップスはその租界があった上海に生まれるんですね。中国の最初のポップスは上海で生まれました。1927年のことです。中国の最後の王朝、清の王朝が終わったのが1912年ですから、その15年後。時は中華民国政府が大陸にあったときです。