2014年度 世田谷市民大学 連続講義


「生まれるアジア、老いるアジア」

第5回 関谷先生 10月20日 2/5
老若男女が楽しむ中華圏のポップス
一人の男性をご紹介したいと思います。黎錦暉(リー・ジンフイ)です。黎錦暉は中国ポップスの父と言われています。1891年、湖南省生まれ。湖南省の湘潭です。ここは毛沢東が生まれたところでもあります。お金持ちのお坊ちゃんだったらしいんですね。だから学歴がなくても伝統音楽には精通していました。25歳、1916年のときに北京に新聞記者として就職をします。当時の北京は近代化をしなければいけないという空気があったので、若い人たちがこの国をどうしようといろいろ考えていた。そんな環境に彼はとても刺激されたんですね。そして作曲家として生きて行こうと決心します。4年後の1920年には出版社の職を得て、上海に行きます。22年には湖南省の長沙。今湖南省の省都です。長沙では音楽の先生をします。またまた今度27年に上海に来ます。念願だった歌舞学校、要するに歌って踊れるスターをつくる学校を作ろうとします。当時上海には租界がありますから、西洋のいろいろな文化が入ってくるわけです。黎錦暉はその時、欧米には素晴らしい音楽がいろいろあるのに、何故中国にはオリジナルの大衆が好む音楽がないんだろうと思いました。
で、この歌舞学校をつくるんですけれども、すぐお金がなくなってつぶれてしまいます。どうしましょうということで、1曲レコーディングして発表するんです。もともとはつぶれちゃった学校のために書いた曲。その曲が「毛毛雨(マオマオユイ)」、こぬか雨のこと。歌っているのは黎錦暉のお嬢さん、黎明暉(リー・ミンフイ)。これが大ヒットしました。中国最初のポップスです。
歌詞は「こぬか雨がやまないの。やさしい風がとまらない。青々とした柳を揺らして。あなたに金なんて言わないわ。あなたに銀なんて言わないわ。ただあなたの心が欲しいの」。という曲です。女性からストレートに愛を告白した歌。この時代にこんなことを歌うということは、多くの先輩の方たちがけしからんと思ったかもしれないんですけれども、若い人たちが飛び付いたんですね。またこの黎明暉は、ショートカットの髪の毛にミニスカートでしたから、ヴィジュアル的にも本当にびっくりしたんです。けれども、若い人たちは格好いいと思ったんですね。中国のアイドル第1号でもあったかもしれませんね。その「こぬか雨」という曲を聞いていただこうと思います。

(視聴)

これが中国最初のポップスです。あまりにもこの歌が革新的だったので、歌う人がいないので娘に歌わせたという話もあります。
そして、この黎錦暉はこの曲がヒットしたおかげで今度は明月歌舞団というのを作るんです。ここからは1930、40年代に上海で大活躍した、歌って踊って演技をするスーパースターたち、音楽家も輩出されます。その中の一人が周璇(ヂョウシュアン)という歌手です。日本ではシュウセンなんて言いますね。この人の大ヒット曲、これはお聞きになったことがある方が多いかと思います。「何日君再来(ホーリージュンザイライ)」。「いつの日か君帰る」という曲です。聞いてみましょう。

(視聴)

当時彼女は、金の喉、ゴールデンボイスと呼ばれ、愛されました。どちらかといったら細い声。それから高い。一見弱そうですが、実は芯が通っている強さがある。そういう声が称賛されました。今に至るまでこういう系統の声は中国人は大好きです。テレサ・テンもそういう声だと思われませんか。
この曲は1937年の曲です。『三月伴月』という1937年の映画の挿入歌として「何日君再来」が使われました。この曲の作曲家は上海の音楽学校を出たんですが、その音楽学校で送別会を開いた時にこの作曲家が曲を作った。で、彼はタンゴ風の曲を作ろうと思ってこの曲を作ったんだそうです。その後、この映画の挿入歌にするために脚本家が歌詞を書きでき上がりました。
この「何日君再来」ですが、数奇な運命をたどりました。それをちょっとお話したいと思います。中国でも未だに大好きな曲を選んでもらったら、この曲が1位になるのかなと思いますが、でもこの曲は時代に、そして政治に翻弄されました。
日中戦争のころです。中国人にとってこれはあまりにいい曲なので、中国軍の戦意喪失のために日本軍が流した曲だと思っていたんだそうです。だから最初は日本人が作った曲だと思われていました。だから中国の人にすごく嫌われたんですね。
この作曲家の劉雪庵(リウ・シュエアン)ですが、彼は作詞もしたと思われてしまったんです。問題になるのは詞ですよね。曲そのものではないので、劉さんが迫害されるいわれはないんですが、なぜか詞を書いたことにさせられてしまって、共産党が中国を建国してから北京の音楽大学で教授をしていたのですが、下放されてしまいます。挙句の果てに失明してしまった。その後一番下の息子さんが頑張って、1980年代にお父さんが亡くなった後に名誉が回復されました。
今度、日本軍からの話なんですが。この曲タイトルの「君」という字はジュンと発音します。同じ発音で中国語に「軍」がある。ということは、中国人は、発音だけ聞くと「いつの日か軍が戻ってくる」と聞こえる。つまり、蒋介石の軍が戻ってきてねと言っていると、日本軍が怒ったわけです。それで、日本軍はこの曲を禁止しました。