2014年度 世田谷市民大学 連続講義


「生まれるアジア、老いるアジア」

第5回 関谷先生 10月20日 3/5
老若男女が楽しむ中華圏のポップス
そして今度は、日本統治が終り、共産党に負けて台湾に渡った蒋介石が統治を始めてから。台湾に渡った蒋介石の国民党は、ボロボロの服を着てモラルがない軍人が多かった。台湾の人たちにちょっと日本を懐かしむというような空気があったんです。「何」と「賀」は中国語で同じ発音。祝賀の「賀」。よって、日本軍の幸いを祝う、という風にとり、許さんということで、この曲は蒋介石の台湾でも禁止曲になりました。
この「何日君再来は」テレサ・テンも歌いましたね。テレサは1967年にデビューをしましたが、そのデビューアルバムにこの曲を入れました。今度はテレサとこの曲の話になります。
中国は70年代終わりになって、改革開放を迎えます。改革開放までは音楽は全部プロパガンダですから、音楽は幾つしか聞いちゃいけない、幾つしか演奏してはいけない。革命歌などで徹底的に統制されていたんですね。その後改革開放になり、外から音楽が入ってきました。その時に中国の人たちが一番愛したのがテレサ・テンです。そして曲を1曲挙げるとしたら、この「何日君再来」なんです。
そして、「何日君再来」は中国政府にとっても困る曲になったわけです。それでテレサのこの曲を黄色歌曲としました。ポルノ楽曲のことです。中国の人たちの口コミ力というのはすごいと言われていて、中国の津々浦々までテレサのこの曲は行きわたりました。実際、中国は改革開放の後にロックミュージックがたくさん出てきましたが、ロックのミュージシャンに90年代にインタビューして、あなたが改革開放の後、最初に聞いたのは何ですかといったら、ほとんどがテレサ・テンだと言っていました。中国の人たちにとってテレサというのは本当にすごい存在ということなんですね。
テレサ・テンは中国語だと鄧麗君。苗字が鄧。これは鄧小平と同じですよね。当時よく言われていたのが、「昼間は鄧小平の言うことを聞いて、夜はテレサを聞く」と言われていたくらいです。民衆はたくましいですね。テレサは影響力がありました。
歌詞を訳しますと、「よい花は常に咲かない。よい景色も常にはあるわけではない。憂いも積もれば笑顔の眉もなくなってしまい、涙を流したら愛思う心も流されてしまう。今宵別れたら、あなたはいつ帰ってきてくれるの。この一杯を飲み干して、どうぞ小皿のお食事を。人生では何度も酔えるものではない。ためらうことなく今を楽しみましょう。」という曲です。

(視聴)

これがテレサ14歳の声。素晴らしい歌手だったかということがお分かりになると思います。1967年でした。ちょっとリズムがはねていますね。これもラテンのリズムが入っているんです。テレサの最初の3、4枚ぐらいはいわゆるカバーアルバムなんです。自分のオリジナルの曲を入れていないんです。
中国もこのあと、北京をはじめロックが盛り上がったり、90年代になって台湾や香港から音楽のプロも入ってきて、制作側も力を得てだんだん成熟をしていきます。2000年代になってからは、テレビのオーディション番組、「スター誕生」のようなものが話題になって、そこから出た歌手が一夜にしてシンデレラガールになったりというようなことも行われています。とても格好いいポップスなんかもたくさんあるんですけれども、ただ、今まだ台湾や香港の歌手の人たちのほうが人気がやっぱりあります。
これからどうなるか分からないですけれども、台湾や香港の歌手も中国でたくさんコンサートをしていますが、中国の歌手が台湾や香港でコンサートをすることはあまりないです。中国大陸人で台湾でデビューして人気というのはあります。ただ、中華圏全体を席巻するような歌手はいまだに出てきていない状態ですというのが今の中国です。

香港に参りたいと思います。  
中国で国民党が負けて台湾に行って、共産党が社会主義国家をつくりますね。1949年、中華人民共和国が建国されます。国家主席は毛沢東。それまで上海で自由を謳歌し自由に音楽や映画をつくった人たちの多くが香港に移住するんです。上海のエンタテインメントの多くが香港に移ります。そして上海にいた時と同じようにポップスを作ります。香港人は広東語を話します。が、上海は広東省じゃないですから中国のいわゆる北京語、標準語でポップスをつくります。ということで、なぜか香港で中国語の標準語のポップスがずっと作られ歌われていきました。
何年か経ちます。60年代になると、大陸から渡った人たちもその家族も香港での生活も長くなり、香港人としてのアイデンティティが生まれてきます。最初のうちはいつになったら中国に私たち帰れるかと思って香港に移住していた人たちも、ずっと私たちはここで生きていくんだと思ったこともあるのでしょう。
1964年にビートルズが香港でコンサートをします。その辺でバンドブームが起こるんです。香港は当時英国領ですから、イギリスのポップスがたくさん入ってきますし、香港のバンドも英語で歌うんですね。カバーもしますし、自分たちでも作りました。その中にロータスというバンドがありました。そのロータスのボーカリストがサミュエル・ホイです。
そして、この許冠傑(サミュエル・ホイ)が、とうとう1974年に広東語のアルバムを出します。鬼馬雙星(グイマーセンセン)、「ずる賢い二人のスター」といった意味のタイトルです。同じ名前の映画の主題曲でもあります。『Mr.BOO』ってご存じですか。70年代に日本でもとても流行ったコメディ映画です。当時の日本では、ジャッキー・チェンか『Mr.BOO』かというくらいの人気でした。その『Mr.BOO』の監督主演をしたのがサミュエル・ホイのお兄さんでマイケル・ホイ。それで、このサミュエル・ホイ、サム・ホイってよく香港で言うんですけれども、サムが主演をしました。その『Mr.BOO』シリーズのひとつであり、主題歌のタイトルです。これが香港の広東語の最初のポップスと言っていいと思います。

(視聴)