2014年度 世田谷市民大学 連続講義


「生まれるアジア、老いるアジア」

第11回 土佐先生 12月08日 3/7
韓国は敬老社会か?
高齢者の問題でまず目につくのは、福祉です。日本もそうですけれども、国家の財政が逼迫してくる中で、最大に頭が痛いのが、社会福祉のお金をどうしてくるかということです。その時に、韓国の政府は、儒教の伝統に国家の果たすべき責任を押し付けてきたというか、儒教的伝統という名のもとに今まで見ないふりをしてきた面があります。どういうことかといいますと、儒教には「敬老孝親」という言葉があります。要するに、老人を敬い、親に孝行を尽くしなさいという考え方ですけれども、基本的に高齢者の扶養は家族の責任だということでもあります。特に長男の責任であり、それに社会や政府が関与することは筋違いということになります。もともと日本も含めて、伝統社会には政府が福祉をするという考え方自体がほとんどありません。特に儒教社会では、その傾向が強いといえます。
韓国に老人福祉法という法律がありますが、今でもその第3条には「国家と国民は敬老孝親の美風良俗にともなう健全な家族制度が、維持・発展するように努力しなければならない」というふうに規定されていて、要するに老人の扶養の最終的責任は、あくまで家族制度にあるのだと明言されています。政府はそうした家族制度が壊れないように努めるけれど、家族に福祉の責任を押し付けるということです。韓国のように資源のない社会が急速に発展しようと思えば、福祉はどうしても後回しになります。その時に都合が良かったのが、儒教という伝統なわけです。
日本にも儒教的伝統があるのですが、韓国の儒教との大きな違いが親孝行の「孝」という概念です。中国や韓国におけるそれは、日本人の考え方より広くて深いといえます。日本人にとっての孝というのは、生きている親を大事にするということに尽きると思うのですけれども、韓国人にとっての孝には大きくいって3つのレベルがあります。1つは、すでに亡くなっている祖先の霊を祀ること。2番目に生きている親を大事にすること。3番目に大事なのが、祖先から受け継いだ血統を伝えていくことです。つまり、子孫を残して、祖先を祀る連綿たる系譜を絶やさないようにすることです。これが儒教的な孝の概念で、日本人が想像する孝の概念よりも、宗教や生命観に近いものだといえます。
生きている人間だけじゃない、もうすでに死んでしまった祖先も、これから生まれてくる子孫も含めて、ずーっと永遠の生命の連鎖を絶やさないようにするということが儒教の本質にあります。どっちかというと日本の仏教に近いというか、ちなみに、日本の仏教の中には日本人が意識していないけど、本来の仏教とかけ離れた儒教的な要素がいっぱい入っています。現実には、韓国は近代化する中で、そういう伝統を置き去りにし、その代償の上に発展を築いてきたのですけれども、政府にとって都合の良いところだけこうやってつまみ食いをするわけです。
一方で、急速度の経済成長の中で、日常的な生活がどんどんどんどん変わってきました。例えば世帯構成なんかも、1990年から2000年までの10年間だけをとってみても、一世帯単独が16.9%から28.7%まで増えていて、もう一方で、おじいさん、おばあさんが一緒に暮らす三世帯同居という家庭の割合は、1990年には47.6%とまだ半分近くあったのが、今では29.9%。3割にまで落ちて、今もどんどん落ち続けています。私は韓国の都市だけでなく田舎でも1年程、調査のために暮らしたことがありますけども、田舎に行くと、誇張なしに老人ばっかりです。日本でもそういう過疎化の傾向はありますけども、韓国の場合は変化のペースが速いので、なおさら変化の過酷さが目立つわけです。
60年代には人口の7割が農村にいたのに、厖大な人の群れが都市に移動しました。都市に移動する時に、親を残して行かざるを得ない人のほうが多いでしょう。その結果、田舎には老人ばかり。都市には若者ばかり。もし親を呼び寄せたとしても、都市には老人の場所がないので、先ほどお見せした写真のようになっていくわけです。都市でのライフスタイルと老人がうまくかみ合わないので、けっきょく行く当てがなくて公園に行かざるを得ない。これが現実ですから、三世帯一緒に暮らすとなると、要するにお嫁さんが面倒見ないといけないパターンです。でも、現実には一世帯住居が増えて、いわゆる核家族化が進行し、そして女性もどんどん働きに出て行かないといけない時代になってきますと、家族で老人を扶養するといっても現実味がなくなります。儒教的な意識とはだいぶ違う個人主義的な価値観も浸透してくると、その次にあらわれる現実はもう日本と違いがありません。親との同居を望まない人のほうが、どんどん増えていきます。政府があてにしていた儒教的な家族制度というものは、現実にはどこを探してもなかなか見当たらないということになります。
そこで、政府も遅ればせながら、1981年にようやく老人福祉法というものを制定しました。日本のそれは1963年です。日本のほうが先に経済成長し、先に都市化や産業化を経験していますから、多少早いのは当然ですけども、それにしてもこの20年の時差は大きすぎます。しかも、日本の老人福祉法は、全員が対象になるものですけれども、韓国の場合、あくまで例外的な貧困層、あるいは身寄りがいない高齢者だけなのです。一般の高齢者は、先の第3条に明言されているように、家族でちゃんと扶養しなさいよという姿勢が今でも強いわけです。しかし、現実には家族の形ですとか、人々の意識がどんどん変わっている。伝統的理念と現実のギャップがどんどんどんどん広がっているわけです。
ですから、一方で政府は「敬老孝親」という伝統的な観念を今でも利用しようとしていますけれども、現実にはもう無理なので、日本等をモデルにしながら政策転換をしようとしているというのが、現在の状況です。日本から見ると、必ずしも全体として韓国は老人を大切にしている社会とはなかなかいえないという現実が感じ取っていただけると思います。ただ、日本の老人は今のところ韓国よりは恵まれているかもしれないですが、伝統的価値と産業化との狭間で高齢者をどう位置づけるかという問題を構造的に考えたとき、ほとんど差はないといえます。