2014年度 世田谷市民大学 連続講義


「生まれるアジア、老いるアジア」

第11回 土佐先生 12月08日 5/7
韓国は敬老社会か?
厳しい現実を前にした伝統的価値ですが、現実に人々の意識に影響があるのは、儒教的伝統というよりは、実はアメリカ的な価値観のほうではないかと思います。単純化するなら、儒教というのは要するに階段を昇っていくようなモデルです。最初生まれてきたときは地位がゼロですが、成人して結婚して子供を産んで、やがて死んで、そして死んだ後もずっと地位を昇り続けるのです。子孫がいて系譜が途絶えない限り、ずーっと上に登っていく階段のイメージです、儒教のモデルというのは。
アメリカ的な価値観というのは、それにたいしてフラットですよね。エイジレスといういい方もよくします。子供はさすがに別カテゴリーですが、成人した後、人間は死ぬまで変わらない。おじいさん、おばあさんになっても、ジーパンとTシャツだけで過ごすというのがアメリカ的なライフスタイルの一つの特徴です。韓国でも、実際はそういう価値観の影響を受けている人のほうが多く、年配者がナイキのジャージやキャップを身につけているようなファッションは日本よりずっとよく見かけます。
そういう流れの中で、どこに向かっていくのかという模索が、いろいろな文化習慣に見られます。一つの典型だと思うのが、葬式です。日本でも最近いろんな形が出ているようですが、韓国はこの分野でも変化が激しいのです。もともと韓国というのは土葬なのですが、この20年ぐらいで急速度で火葬に変わっていっています。
この写真は私が80年代末に調査した村で、田舎に行けば今でもこういう葬式が見られます。葬式の棺は、日本で言うとお祭りのお神輿に似ていますよね。死ぬというのは、一方で悲しい出来事であり、葬式ではアイゴ〜、アイゴ〜と儀礼的な「哭」をするのですけど、同時にそれは、もう一つ上の段に上がっていくということですから、ある種、おめでたいことでもあり、棺を飾り立てる色彩にもそういうことが表現されています。
さらに、土葬のお墓は風水という伝統に基づいています。香港で実践されているものや、日本でも部屋のどの方向に何色を置いたら運が良くなるかという風水占いが少し流行しましたが、ああいうのは陽宅風水といいます。生きている人間の家を陽宅といい、死んだ人間の家のことを陰宅といいます。韓国の風水はもっぱら陰宅、死んだ人の家をどこに据えるかで運気が変わるという考え方です。伝統的にはお墓の位置というのは、一人一人違います。その人の生まれた時と死んだ時をかけ合わせて、風水師と呼ばれる人が、方位と場所を割り出して、土葬する場所を決めるのです。そういう決め方をしていますから、夫婦であっても場所が別々である上に、死ぬまで予測できません。ゆったりした話ですが、その位置は自分が所有している山じゃない確率のほうが高いですよね。慣習上、その山の持ち主は、埋葬を拒めないわけです。で、けっこうな面積を一人で取るわけで、決して広い国土とはいえませんから、こういう習慣をこのまま続けていったら、山は荒れてしまいます。都市ではなおさらそのような場所を求めるのは不可能ですから、土葬はどんどん無くなっています。伝統的にはこうして土葬され、そして毎年命日が来ると、霊だけが戻ってきて、お祭りするというのが儒教式の祭祀(チェサ)です。こういう宗教観や死生観が今やほとんど崩れていっています。
1990年代でも火葬率は2割以下でした。いろんな習慣の中でも、お葬式はいちばん変わりにくいものの一つだと思います。自分の葬式は自分であげられないので、個人の意思が働きにくいからです。遺族にしても、よほどちゃんとした遺言でもあれば別ですけれど、普通は社会的習慣に従ってやるしかありません。自分の考えや趣向によって変え難い部分です。それがこのように急変しているというのは、やはり韓国の社会的文化的変化がどのくらいラディカルかということを鮮やかに示していると思うのです。2005年に火葬率はついに5割を超え、2011年に7割を超えて、今でも増加中です。農村部を入れての比率ですから、都市部ではほとんどすべて火葬です。
限られた国土や環境といった合理的な理由はありますけれども、お葬式の形という変わりにくい文化までどんどん変わってきて、火葬にした場合のお墓は、風水によって場所を選ぶのではなくて、共同墓地に奉安するパターンが増えています。それでも土饅頭のような伝統をなぞっているので、けっこうな面積を取ります。