2014年度 世田谷市民大学 連続講義


「生まれるアジア、老いるアジア」

第12回 土佐先生 12月15日 2/5
韓国映画に見る老いの意味
古い価値と新しい価値との衝突は、アジアでは大前提となる状況なので、そうした構造を含んでいる韓国ドラマがアジアで流行るのは、ドラマの良し悪し以前にとても大切なポイントだと思います。ぶつかり合うだけではなくて、このドラマのように結婚し同居する過程を通じて、対立の融和が模索されているのも共感を呼ぶ大切な要素だと思います。
韓国は、新旧の矛盾や対立がもたらす歴史状況を圧縮した形で引き受けているわけで、そのことがアジアの大衆を引きつけるドラマを生みだす一つの源泉となっているわけです。それでは、ここからは映画に注目し、新旧の葛藤の中で生まれてくるシニアスタイルとかシニア文化の芽生えとはどのようなものかについて、6本の映画を紹介しながら具体的に探ってみたいと思います。
まず、老人の映画にどんなものがあるかというと、非常に例が限られる点に気づかされます。どの国でも映画というのは、作るほうも観るほうも基本的に若い人ですし、映画の主人公もだいたい若い男女です。社会の高齢化が進んでいって、少しずつ老人が主人公になる映画も出てきましたが、まだ非常に少ないといえます。老人を大切にするはずの韓国でも、過去に老人が主人公になったり、メインテーマになった映画は、ほとんどありません。老父に対する娘の孝道を描いた古典文学『沈清伝(シムチョンジョン)』が、老父でなく娘を中心に物語を進めているのがその典型でしょう。実例があるとしたら、むしろ最近のものです。
これから紹介する6本は、いずれも2000年以降に作られた映画ばかりですが、それは偶然ではありません。新たなシニアスタイルを探る実験が、今だからこそ映画というジャンルでもあらわれつつある証拠だと思います。ですから、たくさんの実例を分類し、一般的な傾向が導き出せる段階にありませんが、あくまで便宜上、3つのタイプに分けてみました。
1番目に、老人が社会の中で蔑ろにされている現実と向き合っていくような映画があります。「取り残される老人=伝統」とでも呼べるタイプです。老人のあり方が、すなわち農村的な価値観であったり、儒教的な伝統であったりもします。2本ご紹介しますが、1本目は『おばあちゃんの家』という映画です。
イ・ジョンヒャン監督による2002年の作品ですが、本作が二本目となる新人の女性監督です。最近の韓国映画は圧倒的に新人が作る例が多いのですが。それも韓国映画の活力の元になっています。この映画も、新人の発想から生まれた企画であり、まさか当たるとは思っていなかったとのことです。上映も最初は地味な扱いだったのですけれども、口コミで人気がどんどん拡散していき、最後は400万を超える観客を動員しました。
都会で母親と2人暮らしをしている男の子が、仕事の都合か何かで、一時的に山奥の実家に預けられる話です。そこは、おばあさんが1人で暮らしている古びた家なのですけれども、最初はとにかく田舎のすべてに対して拒否するわけです。というのは、子供が好きなものが何もないからです。ケンタッキーもなければ、ローラースケートをする場所もありません。もってきた小型のゲーム機も、電池が切れたら使い物になりません。夜の闇や虫や粗食など、都会育ちの子供にとって田舎の生活は悪夢のようなものだということが描かれます。
ユ・スンホが好演する孫は、おばあさんに八つ当たりばかりして、いかにも憎々しげな子供を演じるのですけれども、このおばあさん役が素晴らしい。実はこの人はプロの俳優ではなくて、素人のおばあさんを抜擢したらしいのですが、その人が、韓国の老人の置かれている境遇を見事に表現しています。儒教的な地位の高い老人ではなくて、周辺に佇んでいる無力な老人です。聾唖者として身振り手振りで孫と必死に心を通わせようとするおばあさんの姿は、無力で孤独な老人の実像を鮮やかに示しています。そういう無力な老人が、ついに孫と心を通い合わせるというところが、非常に感動を呼んだ映画です。



お見せした予告編は日本向けのもので、牧歌的な風景や後半の心温まる場面が強調されていますけども、実際の映画では、孫の憎々しげな演技が延々と続いていて、だからなおさら最後に心が揺り動かされることになります。この映画で描かれている老人は、無力で打ち棄てられた存在ですが、そのことを隠さず美化しないことによって都会に住む人間の空虚さがあぶり出されるのだといえるかもしれません。