2014年度 世田谷市民大学 連続講義


「生まれるアジア、老いるアジア」

第12回 土佐先生 12月15日 4/5
韓国映画に見る老いの意味
もう1本、さらに実験的な映画を紹介します。2002年に公開された『死んでもいい』で、儒教社会の韓国において絶対的タブーともいえる「老人の性」を描いたドキュメンタリー風の作品です。老人同士の赤裸々なセックスを描写するため、さすがに俳優は使えず実在の老夫婦を起用したといいます。大きな物議を醸して、最初は上映が許可されませんでした。なんとか上映にこぎつけたわけですが、さすがにヒットには至りませんでした。是非はともかく、こういう非常にラディカルなことまでやっちゃうのが、韓国映画の特徴だと思います。私も上映の時期、ちょうどソウルで観ましたが、ほとんど観客がいなかった上に忍び笑いの連続でした。
老人の性というものが別にタブーでもなんでもないということを露呈した一つの表現として、面白い実験であったとは思います。私の知る限り、老人の性をここまでストレートに描いた一般向け映画は、世界でもこのくらいじゃないかと思います。日本でもアメリカでも、老人の性に対する学術的な研究などは存在しますし、また川端康成や谷崎潤一郎の小説などその種の文芸作品もありますが、いずれも美化されロマン化された「老人の性」です。そういう直視に堪えないと思われているテーマまで映画に撮るところが、今日の韓国らしさに他なりません。ただ、予告編でもお見せするのがためらわれますから、ここでは写真だけにしておきます。関心がおありでしたら、韓国語か英語のタイトルをYouTubeで検索すると、全編ご覧になれます。
最後のカテゴリーとして、「ファンタジー化された老人」を挙げることができます。恋愛の範疇と重なる部分もありますが、もう一歩ファンタジーの側に踏み込んだ老人像です。
1本はキム・ギドクという作家性が強くて世界的に有名な監督の『弓』という映画です。およそ非現実的なファンタジーですが、主人公が老人だからというよりは、この監督の作品はだいたいいつも非常に非現実的な設定と展開でありながら、なぜか人の魂を激しく揺さぶるようなポエティックなものが多く、そういう作風からくるものです。
海に浮かんでいる小さな船の中で、1人の老人とまだ若い少女が2人で暮らしているという設定ですが、実はその少女は老人の孫ではなくて、6歳の時に引き取ってきたというか、おそらくさらって来ちゃった子なのです。老人はもう1隻の小さな渡し船で陸から釣り客を運んできて、自分たちの住む船で海釣りをさせることで生活をしています。社会から孤絶した生活ですが、完全に閉じた世界というわけではありません。その少女は、あと少しで17歳の誕生日を迎えるのですけれども、その日に老人と結婚することになっています。その日まで、老人は少女を手ずから入浴させながらも、手を握る以上の関係に進むことはありません。川端康成を彷彿とさせる老人の性的ファンタジーの世界ですが、静かな展開は極めてポエティックなものです。
映画のふたりは、一切言葉を発しません。ふたりは欲望の主体というよりは、風景の一部となって静かな時間の流れを支え、むしろタイトルになっている弓というアイテムが中心的な役割を果たしています。弓の役割には3種類のものがあります。まず、釣り客が少女にちょっかいを出したりすると、老人が弓を射って威嚇するのですが、そういう武器としての役割。もう一つは、少女が舷側に吊られたブランコで揺れるところに老人が弓矢を射って、その位置を見て弓占いをするときの、占いの役割。最後に、昔の弓は実際にそう使われていたようですが、弓に張った弦を爪弾いて楽器として使う役割です。
そういう不思議な弓に焦点を当てながら、不思議なカップルについて語るのですけれども、現実に夫婦になることはなく神秘的な結末を迎えます。その破局は、ふたりの世界が社会と完全に切れていないところから来ます。1人の青年が釣り客として現れることで、波紋が起きるのです。老人をものすごく慕っていた少女はその青年に心を奪われていって、青年からもらったウォークマンの音楽の虜になります。老人との関係が急にぎくしゃくし始めます。青年は少女を救い出し、外の世界に連れ出そうとしますが、その試みもある種の挫折に終わります。
この映画に描かれている老人は、一見いわゆる老賢人というか、神秘的な存在として描かれていますが、同時に無垢な若い娘を自分のものにしようする俗な欲望にまみれてもいるわけです。そういう極度に矛盾した人格をそなえた老人は、過去にも現在にもどこにも実在しない、不思議な物語世界を支えています。