SCHOOL

2009年度 世田谷市民大学 連続講義


「現代アジア都市の肖像」

第7回 藤田先生 6月10日 9/15
サイバー・アジア 都市のデジタル・ネイティブたち
中国でも実はこれは2005年頃から、ものすごい勢いで浸透しています。「校内網」という学校を軸としたネットワークも広がっている。北京大学なら北京大学のコミュニティ、そのOBの人達という形で、インターネット上にどんどんサイバーな人間関係の構築がされ始めている。
日本でも30代の社会人では友人つくり、人脈つくりにさかんに活用されています。20代に至っては、もはややっていない人はいないだろうという勢いです。もちろん、そのときの「コミュニティ」の持つ意味については、様々な角度から慎重な議論が必要なテーマだとは思いますが、ともあれ私たちはこういうリアルのコミュニケーションとネットコミュニケーションが複雑に交錯する社会で生き始めている。

■変貌する情報環境

今回のオバマ大統領が強烈なインターネット選挙をやって勝ったということは皆さんご存じかと思います。おそらく前例である韓国を徹底分析したのかもしれません。それによって、アメリカに新しいコミュニケーションの流れを作ったんじゃないか。この先、日本はどうするのかなと僕は思っていますが。このメディア・コミュニケーション環境は日本だけじゃなくアメリカ、韓国、中国(都市部)は、ほぼ同じ状況に入ってきた。しかし、それを手放しで喜ぶわけにはいかない。なぜなら、ネットの最大の問題は、個人が社会と「直接」対峙する環境が生まれたということです。一般の人々にその環境を受け入れることが出来る準備があるのか、リテラシーがあるのか。社会的経験が豊富だが技術的環境に疎い中高齢者たちと、社会的経験が少ないが技術的環境には馴染みやすい若者たち。双方がここである種のわからなさを抱えている。本来十全なコミュニケーションとは、社会性と技術の統合された表現です。社会と技術の関係が、あたかも振り子のように揺れ動く状態に我々は入ってきているんだなということを、強く感じています。
かつての情報・コミュニケーション空間は、たとえば子供の場合、個人の周りに家庭という物理的な枠があって、新聞やテレビを家で見、電話を取る、親が情報を管理するというパターン。その外には更に学校が守り、地域が守る。会社員の場合は、会社が人生の面倒を見てくれる形で、社会に対し、物理的な枠が形成されていた。その先に国家、社会があった。インターネット、パソコンというテクノロジーの本質は、全ての人をまず「個人」にするということです。今の若者の中に起きている様々な問題、事件の共通の特徴というのは、これに対処ができなくなったということだと僕は思っています。